中国の春秋時代、呉と越とは互いに覇権を争っていたが、呉王の子は、父の戦の無念を晴らそうと、薪を並べて臥して苦しみ耐えて、越を破り越王を虜にした。越王は解放されて国許へ帰り、寝室に熊の肝をぶらさげて、それを嘗めては屈辱と悔しさを思い出し、やがて呉を破ったとの故事を表した言葉である。
 地球ができて生物が生じ、動物から人間へと進化はしても、其の本質は変わりようが無い。特に人間は人間として、四億年の歳月の間本質は何も変わっていない。歴史は繰り返す、まさに其のとおりである。中国の長い記録歴史の中に未来永久人間社会が存在する中では、廃る事のない経過と結果が繰り返し生じてくる。有為転変というが本質は変わらない。対象が変わるだけである。
 呉越の史実のように敵対するものとして考えるのではなく、あらゆる方向に変化させて思考するところに人間としての価値と生き方がある。
 平和・裕福・溢れる物資及び食料と、過去の貧困・飢餓・抑圧を忘れ、勤労意欲も努力も忘れ、安逸と無為徒食そして働かずして如何に多くの金銭を略奪するかに身を憔している。「稼ぐに追いつく貧乏なし。」「正直の頭に神宿る。」は何処の国の格言であろうか。政治家は政党と己の利欲のために、役人と企業家は己たちのための税金による分配金の確保のために、若者は親の財産年金獲得のために腐心している様は、まさに地獄の鬼と争う餓鬼のあさましい姿といえる。